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「空き部屋はありますか?」という問いに対して、小柄な愛想のよい男は「あるよ」と答えた。値段も、ここアビジャンにしてはかなりお手頃な700円程度。ここら辺に安い宿はありませんか、と通りの人に聞いた甲斐があったというものだ。
建物は7界建てで、壁や床などは全てコンクリートがむき出しになっている。まるで、石が、どん、と積み重ねられたような粗いつくりだ。廊下や階段に電気は無く、足下に注意しながら5階まであがる。
途中、通り過ぎる階の廊下をみると、部屋から出てくる人や廊下を拭き掃除している者が目に入る。みんな、現地の人のようで、歳は40才〜60才くらいに見える。
後から、聞くところによると、日雇い労働者が安く泊まっている場所らしい。どおりで安い訳だ。
部屋に到着すると、中を案内された。中と言っても、ベッドがあって、窓があって、という簡単な説明だ。この値段では珍しくシャワーがついていた。シャワー室というほどではなく四角形の部屋の一つの隅から鉄パイプが飛び出していて、そこから水が出るという具合。そのスペースに10センチほどの囲いがついていて、水がそとに溢れないようになっている。
まあ、こんな感じでしょう、と納得し、宿のものを部屋から送り出そうとしたときに、あることに気づいた。「ドアがない」「いや、正確には、ドアが存在しない部分がある」入ってくる時には気づかなかったが、ドアの下半分がないではないか!!
他の部屋は無いのか聞いたが、ここが最後の空き部屋だ、と言われた。ならば仕方が無い。ここに、泊まろう。
私は、決して、下半分の隙間から部屋の出入りはしなかった。なぜなら、それをすることで、誰でもいつでも入って来れるという事実を肯定したくなかったからだ。
部屋を出るときは、必ずカギをかけた。ちょっと、買い物に行くときと外にあるトイレに行くときだ。ノブを回してみて、カギがしっかりとかかっていることを確認する自分の姿が可笑しくて、そのたびに笑った。
3日目の朝、起きるとノドに違和感が。咳払いをしても、まだ変な感じがする。かすれていて、空気を送っても、それがのどで響かずにすーっと抜けてしまうか んじ。声がでない。無理もない、こんな衝撃的な部屋に泊まっているのだ。このショックで一時的に声が出なくなってしまったのだろう。
その日は一言も話さずにチェックアウトした。いろいろありすぎたけど、それに対してどうこう言うよりも、自分の中で噛み締めなさい、という神様からのメッセージなのでしょう。ねぇ、そうだと言ってよ。
例のドアの写真を撮るという発想に至らないくらい、疲れていたのだなぁ。