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このアヤソフィアは350年頃に、キリスト教の大聖堂としてコンスタンティウス2世によって建築が開始されます。その頃はアヤソフィアではなく、大教会という呼ばれ方をしていました。当時、首都であったコンスタンティノープル内のどの教会よりも大きかったためです。その後、暴動などが原因で2回の消失を経験し、さらに、改修された後も地震によるドームの崩壊も起きています。
1453年になると、メフメト2世がここ、コンスタンティノープルをイスラム勢力下に収めます。メフメト2世は軍に対し3日間の略奪行為を許します。軍は宝物が納められたアヤソフィアを襲撃し、扉を壊し、中で避難していた人々は虐殺されるか奴隷にされました。メフメト2世が、アヤソフィアをイスラム教のモスクとする宣言を行い、内部の十字架の取り外しやメッカの方角を示すミフラーブ(下に画像あり)の設置が進められます。
1935年になると、トルコ共和国の建国者であり初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、アヤソフィアを博物館として公開しました。その際に、モスクとして改築された頃に塗られた漆喰などが一部取り払われて、その下にあったキリスト教時代のモザイク画などが姿を表しました。現在、アヤソフィアを訪れるとイスラム教とキリスト教、両宗教の特徴を同時に見る事が出来ます。