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パルテノン神殿は、古代ギリシア時代にアクロポリスの上の建設されました。その土地の守護神でもある戦いと知恵の女神アテナを祭る神殿です。「パルテノン」という名称はギリシャ語の「処女宮」から来ていますが、その言葉が使われた由来には諸説あります。一説には、都市の安全を祈願するために、処女が最高の生け贄にされたことへの関連が指摘されています。
パルテノン神殿本殿の柱は、内側に向けて建てられています。そして、土台と上部の屋根は共にわずかに湾曲しています。見上げた時、梁などの水平部分がたわんでいるか両端が曲がっているかのように見え、まるで天井や床が歪んでいる錯覚を覚えてしまいます。これをギリシア人は意識して、神殿が完全に見えるようにわざと曲線を加え、錯覚を補う意図があったものと考えらています。
パルテノン神殿がオスマン帝国によって支配されていた時代、神殿は火薬庫として使われ、ヴェネツィア共和国の攻撃を受けた時に爆発炎上してしまいます。その後、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯という人物は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去りました。これらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブルまたはパルテノン・マーブルの名で展示されており、ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているが、実現には至っていません。