◎この記事はちょっとした待ち時間で読めちゃいます。
ドタキャンという言葉とは一生関わらずに生きていきたいものですね。そんなことを考えている私ですが、日本にいるよりも2倍、3倍のドタキャンに遭遇する日々です。19日の予定が急遽キャンセルになり、次の日へ。20日もキャンセルで、本日21日に至っています。本当なら、その人とは朝に合う予定でしたが、現在の時刻は15時45分。すでに朝では、ないですね。まあ、待ちましょう。
そして、こんな発想に至ります。能動的に待つ、ということです。本来、待たされるということは時間の浪費のような気がしてしまいますよね?しかし、能動的に待てば、そうならないのです。という訳で、私は今インターネットが使える状態で待っています。この更新作業が出来ているので、全く時間の無駄にはなりません。この環境に慣れてくると、次のような精神状態になります。「もはや、私は待っていない。」
皆さん、この状態を「待ちにおける悟り」と呼んではどうでしょうか。もはや、誰も待っていない。私は、この作業に集中しているのだ、誰も来ないでくれ。そう、思えるわけです。そして、その人が現れなくても、「集中できてよかった」と思い、その人が現れれば、「あ、そういえば」となるはずです。・・・こんな文章を書いてしまうほどに待たされております。