世界で200万いいねを記録した、タクシードライバーと老婆の「最高の時」を巡る感動物語

世界で、“200万いいね”を記録した、タクシードライバーと老婆の感動物語

 

日常の中にある「最高の時」に気づく事ができた、タクシードライバー。

 

彼が、経験した最高の一日をご覧頂こう。

 

この物語に感動した人々が、“いいね”や“シェア”をする。

よい行いは、一気に、世界中へと広がっていく。

 

そんな世の中は、捨てたもんじゃない。

by Laura Falla
by Laura Falla

寛容さについての、人生最高のレッスン

寛容さについて、人生最高のレッスンを受けた。”

 

ニューヨークでタクシードライバーとして働く男性の、ある経験。

 

彼は、ある日、一人の乗客を乗せた。

 

この瞬間から、彼の最高のレッスンは幕を開ける。

 

 

 

 

目的地に到着した私は、クラクションを鳴らした。

 

何分か待った後に、またクラクションを鳴らす。

 

その日の仕事もそれが最後だったので、もう帰ってしまおうかと考えていた。

 

しかし、思いとどまり・・・タクシーを駐車場に止め、家のドアをノックした。

 

“もう、すぐ行きますから。”と・・・か弱く年老いた声。

 

何かを引きずるような音が、中から聞こえる。

 

長い沈黙の後、ドアが開く。

 

まるで、90年代からタイムスリップしてきたかのような風貌をした小さな老婆が私の前に現れた。

 

柄物のドレスに、ピルボックス帽という出で立ち。

 

1940年代の映画に出演していそうだ。

 

傍らには、小さなナイロン製のスーツケース。

 

アパートは、まるで、10年間だれも住んでいなかったかのような雰囲気。

 

中にある、家具には、シーツが被せられている。

 

壁に時計は無く、キッチンカウンターには小物や調理器具が全く置かれていない。

 

隅には、写真やガラス製品でいっぱいになった段ボール箱。

 

“カバンをタクシーまで運んで下さる?”

 

私は、それを車に乗せ、すぐさま戻り、彼女をエスコートした。

 

私の腕を掴みゆっくりと歩く彼女に合わせて、タクシーへ。

 

“親切にしてくださりありがとう”とお礼を言い続ける彼女に、“大したことじゃありませんから”と返す。

 

“・・・ただ、自分の母親だったらこう扱ってほしい、という扱いを、お客さんにもしているだけですよ。”

 

“まあ、何て立派な子なんでしょう。”

 

タクシーに乗り込むと、彼女は、ある住所の書かれた紙を差し出し、“市内を通って、ここまで言って下さいますか?”と言った。

 

“それじゃ、遠回りになってしまいますよ”とすぐさま返す。

 

“構いません、私は急いでませんよ。最終的に、ホスピスに行くだけですから。”

 

(※ホスピス末期癌(がん)患者など死期の近い病人を対象に、延命処置を行わず、身体的苦痛を和らげ、精神的援助をして生を全うできるように医療を行う施設。)

 

私は、バックミラー越しに、老人の目に何かが光っているのを見た。

 

彼女は、柔らかい口調でこう続ける。

 

“私に、家族はいません。医者が言うには・・・そう長くはないでしょう。”

 

私の手は、タクシーのメーターに伸び、それの電源を切った。

 

“では、どのルートで行きましょうか?”

 

それからの2時間、私たちは、市内を回った。

 

その途中、彼女がエレベーターガールとして働いていた建物を指差して、教えてくれた。

 

新婚時代に彼女と旦那さんが暮らしていたという家の近所を走った。

 

ある家具倉庫の前で、車を止めるように言われた。

 

その場所は、彼女が若い頃によく遊びにきていたダンスホールだったらしい。

 

時折、彼女は、建物や曲がり角の付近で、タクシーのスピードを落とすようにお願いをする。

 

そして、その場所や暗がりを、ただただ見つめ続ける。何も言わずに。

 

日の光が、地平線から顔を出し始めると、彼女が口を開いた。

 

“疲れました。そろそろ、行きましょうか。”

 

沈黙の中を走り、紙に書かれていた住所へ。

 

そこは、低い屋根で、老人ホームのような建物だった。

 

玄関先まで、車道が続いている。

 

車を止めると、すぐに二人の用務員らしき人が、こちらにやってきた。

 

彼女の事を、心配そうなまなざしで見つめている。

 

彼らは、きっと、この女性の到着を待っていたに違いない。

 

私が、トランクからスーツケースを運び出す頃には、彼女は、車イスに腰掛けていた。

 

“おいくらでしょう?”財布をさがしながら、彼女が聞いた。

 

“けっこうです。”

 

“生活のために、ちゃんと稼ぐ必要があるでしょう。”

 

“乗客は、他にいくらでもいます。”

 

無意識の内に、私は彼女を抱きしめ、彼女も抱きしめ返した。

 

“あなたは、年老いた女性に、ひと時の幸せを与えてくれた。ありがとう。”

 

彼女の手を握り、朝の光の中を歩いた。

 

背後では、ドアがぴしゃりとし閉まる。

 

それは、命の閉幕の音だった。

 

その日は、他の乗客を乗せず、ただ、物思いにふけりながら、車を走らせた。

 

全く、話をすることさえ出来なかった。

 

もし・・・その日の仕事を早く終えることだけを考えるようなドライバーに、彼女が出会っていたら、どうなっていたのだろうか?

 

もし、私が、彼女のお願いを断っていたら?

 

もし、クランクションを一度鳴らしただけで、その場を去っていたら?

 

これだけは言える。

 

私は、人生で、これよりもよい行いをしたことはない。

 

私たちは、「最高の時」というものは、どこか、手の届かない場所にあるようなものだと思っている。

 

しかし、そうではない。

 

最高の時」は、他の人が取るに足らないと考えるような物事の奥底で、美しく輝いている。

 

この物語は、どこまで広がるのか

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どれだけ多くの人が、「最高の時」を共感できるかは、あなた次第です。

 

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